第4回座談会

2016年9月17日(土)

場所:早稲田大学

ゲストスピーカー:楠山雅彦氏

 

ゲストプロフィール:和歌山県和歌山市出身。第二次世界大戦中、アメリカ軍により行われた和歌山市空襲に遭い、10歳で被災。2013年日本平和学会、NPO法人ブリッジフォーピースに所属。2015年より次世代に戦争体験を語り継ぐ講演・ワークショップを展開、マクシム平和塾設立。書籍『鼠島 10歳の空襲体験記』(2005)。

 

 

 第4回目となる座談会「10歳の空襲体験ー次世代へ伝えたいことー」を、2016年9月17日に開催いたしました。スピーカーに楠山雅彦氏をお迎えし、戦争をテーマにご講義いただき(第一部)、その後参加者同士のディスカッション(第二部)を行いました。また座談会終了後は楠山様を交え、懇親会を行いました。その様子をご紹介いたします。

 

 

 

【第一部】

 まず第一部では楠山様より『少年が見た太平洋戦争』というタイトルの元、「私が見た太平洋戦争」「私が受けた小学校教育」「和歌山市での空襲被災」「終戦そして戦後社会の混乱」を順にご講義いただきました。

 

  「私が見た太平洋戦争」では、太平洋戦争の大まかな推移をご説明いただきました。ミッドウェー海戦で日本は敗北を喫しましたが、国民には報道管制で隠蔽。さらに1943年4月18日の山本五十六氏の戦死を受けて、当時楠山氏自身は日本(の戦況は)は危ういのではないかと思われたそうです。

 

 続く「私が受けた小学校教育」では、楠山氏が小学校時代実際に受けられた教育についてご説明いただきました。当時は国家神道を反映した国定教科書に基づく教育が行われたそうです。朝会のときは現人神に対し宮城遥拝(東の方角を向いて全員最敬礼)、そして東南アジア諸国を植民地にする西欧列強に対しては鬼畜米英・神州不滅、いざという時には”神風”が吹いて日本を助けてくれると教えられたそうです。

さらに、モールス記号(打腱器)や手旗信号を授業そっちのけで練習させられたり、秋の運動会において「似顔絵たたき」の競技(各国首脳の似顔絵が貼り付けられた人形を竹箒で叩く)、輪転器具による宙返り訓練(特攻隊員に続く年令の生徒の幼年飛行兵訓練)が行われたといいます。

 

 そして「和歌山市での空襲被災」では楠山氏ご自身が実際に被災された立場からお話いいただきました。まず1945年7月9日当時の様子をご説明いただきました。和歌山の軍需工場があるために標的にされたといいます。死者1,210人。約半数の500名が旧県庁前で亡くなられたそうです。市内はご遺体を集めて焼却するひどいにおいで、息もできないほどだったと楠山氏はいいます。楠山氏自身のご自宅も被災されました。空襲が始まって、浜通りの家並みが燃え出すと熱くて熱くて堪らず、何の覆いも無い共同退避壕から、お母さんとお姉さんに両手を引っ張られて、宙を飛ぶようにして川べり向かって必死に逃げたそうです。暑い夏のことであったにもかかわらず、川沿いは冬のように寒く、燃えている家の火を焚き火に暖をとったといいます。空襲が有る程度収まり、焼け跡から命からがら逃げて来られた父上と再会されたそうです。

 「終戦そして戦後社会の混乱」では、玉音放送と食料の究極的な欠乏が語られました。8.15玉音放送に関しては、雑音ばかりであまり聞き取れなかったが雰囲気で敗戦を感じたそうです。

 

   『負けるなら、もっと早く負けとけばいいのに・・・』

               『もう何もする気力も起こらない』

                        『勝つ勝つといって騙された』

 

                   といった大人たちの声があちらこちらから聞こえたそうです。

 

 1946年1月末、被災した楠山さん達が共同生活していた納屋にMP(憲兵)の立ち入り検査があり、暗闇の中で懐中電灯の陰から突き付けられたピストルの筒先が身震いするほど怖かった。納屋の人達が米軍の物資を闇市に流しているという嫌疑だったらしいです。

 

 

【第二部】

   続く第二部では「どうしたら戦争をなくせるか」というテーマのもと、楠山氏ご自身が少年時代に経験された戦争体験から現在に至るまでのを思い踏まえたお考えをお伺いしました。

 

 戦争をなくす方法として楠山氏が提言されていたものは、「戦争保険の創設」と「事業仕分けで戦費はゼロへ」ということでした。前者は戦争を起こした国がきちんと、被害を受けた方々への責任をとる仕組みをつくるとのことでした。後者は財源(税収と国債)と使途(戦費と非戦費)を考え、不要になった財源は戻し税として、戦争保険料の原資に充てればよいのではないか、ということをお話しされていました。

 

 さらに楠山氏は、軍需産業に対して私たちは考え方を180度転換する必要がある、とおっしゃられていました。戦時中の軍需産業は外敵の侵入から国民の生命・財産を守る重要な産業であり、多くの雇用を生み出しているという考えを変える必要があり、軍需産業は産業廃棄物処理業へ転業し、不要になった武器弾薬を破砕して、資源として回収することで雇用を維持できるのではないかということです。

  

【ディスカッション】

  最後に楠山氏のご講義を踏まえ、上記テーマで参加者同士でのディスカッションを行いました。

非常に多種多様な意見が出ましたので、その一部をご紹介いたします。

 

 テーマ:どうしたら戦争をなくせるか?

 

・日本は民主主義国家であるため、賢いリーダーを選ぶ必要がある。正しいリーダーを選択できるよう

国民の教育や意識を高める必要があるのでは。

・国同士では外交や政治上の利害問題を考えがちだが、個人レベルの問題で考えるようにする!各国に友達がいれば、その国と戦争を起こそうとは思わないだろう。

・SNSによって、時間と空間を超えて各国のこと、各国の人々のことを知る機会を得ているのだから、十分に活用すべきではないか。

・日本にいるだけでは、各国の情報を手にする機会が少ない。海外の情報への門戸を開く工夫をすべきではないか。

・各国の文化や事情を知るために「名づけ親制度」を普及させるのはどうか。(名づけ親制度とは、遠い国で生まれた新生児の名前をつけようとすることで、その国に興味を持ち、文化などその国のことを調べるきっかけとなる。またその後の成長記録が送られてくることで、その子に愛着がわき、ひいてはその国に親近感がわくきっかけとなるのではないか。)

 

 

 ディスカッション終了後は、参加者で楠山様を囲んでの食事会を行いました。戦時中を生きぬいた方の大変貴重なお話を伺う機会に恵まれJSAPCSメンバー一同感謝しております。今回参加していただいた方には、大学生はもちろん高校生や社会人の方、さらに実際に戦争を体験された方もお越しいただきました。参加者のみなさまにとっても有意義な時間となっておられましたら幸いです。ありがとうございました。

 

 

*なお登壇者の方の主張は幣団体とは政治的意見を一にしておりません。団体として特定の政治的・宗教的主張は支持しません。感情論ではなく、論理的な議論を奨励し、多様な主張を尊重します。