1.設立の背景

 

1. 平和学にフォーカスした勉強ベースのインカレ学生団体が今までになかった

 

紛争や貧困などの問題が依然、放置されています。多くの人々が、解決に向けて取り組んできました。学生として何ができるでしょうか。大きく分けて、行動と勉強があります。

 

行動に主眼を置く学生は活動の場が比較的多様です。学生による人道支援NGOやボランティアサークル、アドボカシー団体は数多くあります。

 

他方、まずは現状理解と土台づくりをして、将来に役立てたい学生も多いはずです。しかし、勉強し研究員や実務家として世界へ羽ばたく事を目的とするプラットフォーム、特に平和学や紛争学の分野で今までに無かったのです。

 

 

それでは平和や紛争解決、国際協力に関心のあった学生は、サークル選択の際、今までどうしていたのでしょう。 答えは、それらが主目的ではないけど一応学べそうなアカデミックサークルに入会したり、行動派の国際協力サークルに入会したりしていたのです。

 

よく政治系のアカデミックサークルは目にします。しかし、「どうやったら戦争をなくすことができるのか」「どうやったら平和な世界をつくることができるのか」といった事を主目的にしたアカデミックサークルは盛んではありません。

 

平和の名を冠していても、実際は特定のイデオロギーに染まった政治運動系団体もあります。

 

ゼミや授業がなくても、仲間ができる。大学の授業でその分野を学べなくても、別の分野を専攻していても、ここに来れば平和学や紛争学の話ができる。中立性が担保された場で、本質的な議論ができる。そんな場所を作りたいと考えました。

 

 

2. 発展すべき分野

 

この分野は日本でより発展すべき学問領域であり、研究人口を増やすことは急務であると考えました。イギリス、北欧、アメリカなどに当該分野の学者は多いのです。それはそれで良いのですが、異なった価値観や歴史を持った日本人だからこそ提案できるより良いプランがあるかもしれません。

 

しかし日本人研究者は限られており国際学術誌に論文を投稿している方も少ないのです。この分野を研究し、論文を学術誌に積極的に投稿し、世界の論壇を引っ張る日本人がいないのは問題です。

 

国内で関心が高まれば、自然とこの分野を学ぶ学生は増え、専攻を開設する大学も増えるでしょう。平和学へのフィードバックは増加し、研究者同士の競争は激化します。結果、より良い認識や理論が生まれます。より良い認識や理論はより良いシステムを構築し、平和な世界づくりに貢献してくれるはずです。

 


2.団体理念

設立に際して、代表が綴った思いを団体理念として使用しております。


今この瞬間にも世界では多くの罪なき人々が、家を追われ、家族を亡くし、希望なくし、そして命を奪われている。その原因は様々だ。戦争、貧困、差別。そのような言葉が浮かび上がってくる。

 

しかし何よりも重大な原因は人々の「無関心」にある。ジョン・レノンがどんなに良い曲を書こうとも、宮崎駿がどんな素晴らしい映画をつくろうとも、今世界で暮らしているほとんどの人は、戦争や貧困に対して見て見ぬふりをしている。結局、一部の善意ある人間がその命を賭けて、これらの問題の応急手当をしているのが現状だ。

 

これまでもそうだったのなら、これからもそうなのではないか。だとするならば、平和な世界など二度と来ないのではないか。

 

しかし、諦めるのはまだ早いかもしれない。無関心な世の中でさえも、戦争や貧困から人々を救う事ができるかもしれない。

 

我々はその手段こそ「学問」であり「教育」であると考えている。 なぜ紛争はなくならないのか。なぜ再発してしまうのか。

 

なぜ国際的な仲介は失敗してしまうのか。なぜ大量の援助を受けても貧困から立ち直れないのか。そもそも何をもって平和というのか。戦争がなければそれでよいのか。

 

このような疑問にこれまで多くの科学者が挑戦し、そして着実に成果を挙げてきた。

 

これまではたとえ善意のある行動だったにせよ、かえって紛争を悪化させてしまったり、貧困を悪化させてしまったり、逆効果となってしまった事が数多くあったのだ。

 

過去の失敗を反省し、検証することにより、より正解に近い理論が生まれてきた。これらの知見により、NGO等で献身的に働く人々、国家や国際連合などによる支援プロジェクトをより効率化、そして有益化することができてきた。しかしまだそれは十分であると言えない。

 

だからこそ、この分野の学問的発展は急務であり、より多くの人の献身を必要としている。

 

世界平和の実現を希求するのは誰にでもできる。必要なのは行動だ。そして研究だ。「行動」という名の船を導く「羅針盤」が必要なのだ。無関心な世の中だからこそ、その中で実現可能な「戦略」が必要なのだ。

 

その「羅針盤」を設計し、整備し、改良する過程こそが平和学であると我々は考えている。平和学は様々な学問の知見を取り込み、日々発展を続けている。

 

翻って、日本人のこの分野における貢献は微々たるものと言わざるを得ない。論壇を占めるのは他国の学者であり、平和学の分野で世界中の若者が目指す教育機関は日本でなく欧州にある。

 

日本人だからこそ、貢献できることがあるはずだ。

 

インドの学者、スガタ・ダスグプタは1968年に欧米の平和研究者たちが見落としていた概念を提唱した。戦争の反対は平和ではない。戦争のない状態が平和なのではない。戦争の反対は「平和ならざる状態」(Peacelessness)であるというのだ。戦争がなくても、貧困や差別に苦しむ人々がいる限り、それは平和ではない。

 

彼によって、平和学はパラダイムシフトを起こしたのだ。 彼のように、日本人もこの分野において、欧米にない視点や価値観を踏まえ、貢献できるかもしれない。

 

しかし、現時点で日本の研究者人口は少ない。彼らをサポートするシステムも少ない。専攻を設けている大学も少ない。

 

ならばせめて我々学生が立ち上がらなければならないのではないだろうか。

 

所属や学年を問わず、平和学を軸に学生同士に勉強の機会を与え、交流の機会を与えたい。

 

我々にはそのような思いがある。同じ志を持つ学生が集い、刺激しあい、その輪を広げていく事が必要なのだ。

 

それこそがこの日本学生平和学会の存在意義であり、活動理念であるのだ。

 

平和は希求し行動する事は必要だ。それと同時に、平和を希求し議論・研究する事も必要だ。

 

行動と研究が共に広がる時、我々人類は世界を平和な場所へと近づけることができる。

 

 

2015年2月15日

日本学生平和学プラットフォーム初代代表 菅生