2015年 勉強会

3月

第1回勉強会(平和学入門)

 

4月

第2回勉強会(紛争分析入門 - ルワンダとISISのケースを通して -)

第3回勉強会(ジェンダーと平和 - 宗教文化下での女性への暴力を考える -)

 

5月

第4回勉強会(平和構築入門 ‐平和構築の理想と現実の間のギャップについて考える‐)

第5回勉強会(紛争予防としての外交 - 地域統合を通じたアジアの平和を考える- )

 

6月

第6回勉強会(ジェノサイド - その歴史と研究 - )

第7回勉強会(介入と主権 - 国際社会の未来を考える -)

 

7月

第8回勉強会(抑圧されるマイノリティ ‐ ロヒンギャのケース ‐)

 

9月

第9回勉強会(ジャーナリズムを考える - 報道が紛争と平和に与える影響 -)

 

10月

第10回勉強会(シリア難民 ー 発端、現状、国際社会の対応 ー)

 

11月

第11回勉強会(核抑止)

*諸事情により延期

 

12月

第12回勉強会(貧困と開発)

 


第1回勉強会

2015年3月15日

場所:池袋ウェストパークタワー

内容:平和学入門

担当:富田

補佐:菅生


第1回勉強会は池袋で開催。内容は平和学の導入でした。

馴染みのない学問領域。というか、そもそも平和とはいったい何なのだろうか。そういったことをレクチャーとディスカッションを交えつつ行いました。

参加者の皆様からあがった「私にとっての平和」。とても多様で個性的でした。おそらく参加者の方々は、平和の定義は一様ではない、平和の概念は各個人によって全く違うものなのだという事が認識できたのではないかなと思います。

その上で、では平和学としてどんな定義が出てきたのという事も勉強してゆきました。平和学の分野の話でいけば、その歴史や概念についてヨハン・ガルトゥングやアナトール・ラパポートなどを通して紹介しました。より紛争学分野に特化した領域においても少し触れ、エドワード・アザールやメアリ・カルドアの話などを紹介させて頂きました。

ディスカッションでは、「日本は果たして平和と言えるか」「平和なんてものが実在するのか」などといった論点をもとに、参加者の皆さんで議論を深めることが出来ました。

国内における諸問題や心の貧しさ、社会問題、対外関係、防衛など様々な小論点も見えてきてとても興味深かったと思います。そして、誤解を招く表現かもしれませんが、右左関係なく、自由に多様的な議論が出来てとても良かったです。

「平和」という大きく、曖昧なテーマでしたが、その傘の下にとても多くの問題、そして論点が見えたのではないかと思います。それらの問題についても今後より深く勉強会では扱ってゆきたいと思います。今回参加できなかった方もその際は是非お越しください!


第2回勉強会

2015年4月13日

場所:早稲田大学

内容:紛争分析入門  - ルワンダとISISのケースを通して -

担当:荒川

補佐:藤原


第2回勉強会は、紛争分析学について学びました。

平和学と一口に言っても、いったい何を勉強しているのかわからない、、といった方は意外と多いのではないでしょうか。今回は、新年度一回目ということもあり、そんな人たちにもわかりやすい、紛争分析学の導入部分を取り扱いました。

参考にしたのは、イギリス人ジャーナリストのMichael Lund氏が提唱したThe Curve of Conflictです。彼の図を基に、ISISからの具体例などを用いながら、紛争の展開していく段階や、終息していく経過を学びました。

その後、実際に起こってしまったルワンダ内戦を実際にThe Curve of Conflictに当てはめてみることで、アカデミックな部分だけでなく、実際に応用した結果にも触れていくことができました。

ディスカッションは、テーマなどを決めず今日学んだことについて、お互いに意見を述べたり、質問をしたりということで、終始和やかな雰囲気のなか、それぞれの意見や考えを深め合うことができました。The Curve of Conflictはあくまで学術的なものにすぎず、それをどのように国家レベルの政策などに活かしていくのか、などの問題点も出ましたが、国家や国際団体などが行う施策の裏には、必ず学術的見地からアドバイスをしている人がいます。お互いに意見をぶつけることで、普段気付けなかった新たな発見があり、とても有意義な時間でした。


第3回勉強会

2015年4月23日

場所:学習院大学

内容:ジェンダーと平和 ー 宗教文化下での女性への暴力を考える ー

担当:津坂



第三回勉強会はジェンダーから見た平和学についてでした。

ジェンダーと平和学ってどう繋がりがあるのか、また、どんな取り組みがなされているかを学んだ後、イスラム教の女性の権利についてケーススタディを交えながら女性に対する暴力について理解を深め、最後に、ディスカッションをしました。

導入では、主に女性に対する暴力に焦点を当てました。ヨハン・ガルトゥングの暴力の概念をジェンダーという視点から見て、どんな暴力が起きているのかを紹介しました。例えば、性暴力や女子割礼のような、物理的な暴力(いわゆる「直接的暴力」)から、部族や宗教を理由に結婚や離婚に関しての意思決定権が女性に与えられないというような目に見えにくい(「文化的暴力」)まで多岐にわたることを確認することができました。女性のへの暴力に対して国際的にも、様々な条約や女性会議が行われるも、宗教を理由に全面的な批准を控える国もあると学び、文化や宗教と人権の問題を両方同時に扱う難しさを実感しました。

ディスカッションでは、論点を絞らず、イスラム教と人権について、さらに、文化・宗教下の非倫理的・非人道的(と見受けられるよう)な行為に対する介入の是非について比較的自由な意見交換をしました。参加者それぞれのイスラム文化体験を共有することで、イスラム教への理解を深めただけでなく、文化的な暴力に介入するべきか、どのような状況下で介入すべきなのかなど、話し合いました。その結果、経済的困窮や身体・精神障害が自爆テロや性奴隷と大きく関係があるため、問題の背景に意識を向けることの重要性を再確認しました。また、一方では、文化の尊重を理由に、問題が未解決のままにされてしまう危険性も指摘されました。

皆さんの各自の背景が、ディスカッションのスパイスとなり、大変興味深い90分となりました。ご参加本当にありがとうございました。
次回以降の勉強会も、ますますレベルアップして参りますので、皆様のご参加、よろしくお願いいたします。


第4回勉強会

2015年5月7日

場所:学習院大学

内容:平和構築入門 ‐平和構築の理想と現実の間のギャップについて考える‐

担当:木村

補佐:村松、菅生



第四回勉強会は平和構築をテーマとして取り扱いました。

平和学、紛争解決論、国際関係論等を勉強していると「平和構築」という言葉を耳にする機会は多いと思います。しかし、私自身もそうでしたが、平和構築という概念がカバーする範囲は極めて広いため、その全体像を把握するのはなかなか難しいです。

そこで今回の勉強会は、平和構築の基礎知識について学ぶ第一部と、東ティモールのケーススタディを通じて平和構築の理想と現実の間のギャップについて考える第二部に分けて行いました。

第一部では、まず平和構築に関する5W1Hの疑問、すなわち「平和構築とは、何を(What)、いつ(When)、どんな政策領域で(Where)、誰が(Who)、何のために(Why)、どのように(How)、行う政策であるのか?」という疑問をレクチャーを通じて解消していく、という形式を取りました。またレクチャーが終わった後には、参加者の一人ひとりに、各々の興味関心分野と平和構築がどのように関わりあっていると考えたのか発表する時間を設けました。第一部を通じて、参加者の、平和構築の全体像に対する理解と、自分の興味関心分野が平和構築の中でどこに位置づけられるのかということに関する理解がより深められたと考えています。

第二部では、東ティモールの歴史、現状、東ティモールにおける平和構築活動の推移、を最初にレクチャーしました。そして東ティモールの平和構築が2006年に大きな挫折を経験してしまったのは何故なのか、どうすればその挫折を回避できたのか、ということについて議論しました。ディスカッションは、改めて平和構築の難しさ、複雑性について実感できる機会になったと考えています。

最後に、勉強会で触れられなかった、平和構築に関するおすすめの文献のリストを提示しておきます。
どれも非常に良い本なので、興味をもった方はぜひ一読してみてください。

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★★★★  篠田英朗「平和構築と法の支配」創文社 2003年

★★★   上杉勇司・野本啓介・小川秀樹・山田満(編)「新しい平和構築論」明石書店、2005年

★★★★★ 篠田英朗「平和構築入門」ちくま新書 2013年

★★★★  Roland Paris, ”At War's End”, Cambridge University Press, 2004

★★★★  Roland Paris and Timothy D. Sisk (ed.), “The Dilemmas of Statebuilding: Confronting the contradictions of postwar peace operations (Security and Governance)”, Routeledge, 2008

★★★   Edward Newman, Roland Paris and Oliver P. Richmond, “New perspectives on liberal peacebuilding,” United Nations University Press, 2009

★★★   Rob Jenkins, “Peacebuilding: From Concept to Commission,” Routeledge, 2013.


第5回勉強会

2015年5月18日

場所:学習院大学

内容:紛争予防としての外交 ー地域統合を通じたアジアの平和を考えるー

担当:村松


第五回勉強会担当者の村松宏紀です。
今回は「紛争予防としての外交~地域統合を通じたアジアの平和を考える~」をテーマとして取り上げました。

なぜ私がこのトピックを選んだかというと、先に行われてきた勉強会では紛争後の平和構築活動にばかり焦点があてられていて、紛争を未然に防ぐという意味では最も平和的な活動手段である予防外交(Preventive Diplomacy)という領域はあまり着目されてこなかったという問題意識を感じたからです。
そこで、今勉強会では戦後70年の歩みの中でアジア地域においてどのような国際レジームが外交を通じて形成されてきて、地域の平和を実現してきたかを考えることとしました。

勉強会は大きくわけて3パートあります。
第一部【予防外交としての地域統合】
第二部【地域統合の分析アプローチ】
第三部【ディスカッション-台頭する中国の分析】

第一部ではどのようなプロセスで地域統合が実現されるかについてを、HaasのSpillover effectを踏まえつつ解説しました。彼のセオリーによると、法律に基づき形成されるde jureと呼ばれる制度的統合と、経済・社会・安全保障における事実上の統合を指すde factoと呼ばれる機能的統合の二つが相互に影響を及ぼしあっており、非政治的な領域の国際協力関係は最終的に政治的な領域にまで波及するとの見解が述べられています。
すなわち、多国籍企業・国際NGO・一般市民の国をまたいだ交流が国家間の信頼を醸成し、APECやARFなどの国際レジームの形成へと導いていたと言えます。

第二部では、地域統合の分析ツールとして、リアリズムとリベラリズムを紹介しました。国際社会というある種の「無政府状態」でどのように秩序が形成されているかに関しては見解が分かれており、リアリズムでは国家間の勢力均衡が唯一の方法であると主張。一方、リベラリズムにおいては様々な主体による協調関係が可能であると主張されている、ということを紹介しました。

第三部では、第一・二部で紹介した地域を基にディスカッションを行いました。1978年の改革開放以降の中国の外交政策を年表で紹介し、リアリズム・リベラリズムのどちらで解釈できるかを参加者に分析してもらいました。その後、台頭する中国に対し、国際社会はどのような国際レジームをつくることで地域の平和を実現できるかについて考えてもらいました。

私自身は、参加者から「アジア諸国は今後も協調関係を深め地域統合を進展させていくべき」、という意見がでてくるかと予想していたのですが、思っていたよりも現実的な分析に基づいた意見が多かった印象です。中でも、一際印象に残っているのが地域統合のレベルはむしろ一段下げた方がよいとの意見です。よく考えてみると、ヨーロッパでいま起きている内紛や民族主義の高まりはEUによる地域統合がうまく進展していないことの証左であり、「地域統合は紛争回避の手段になりうる」と自分はなかば妄信してしまっていたのではないかと気づかされました。歴史をひも解いてみると、確かに地域統合は長期的な平和や繁栄に貢献してきたといえます。しかし、国家の主権を移譲したさらにレベルの高い国際レジームの創設にはアジア地域だけではなくヨーロッパにおいてもまだまだ難しい点があると言えるようです。個人的にも、この勉強会でのディスカッションを通じてこのトピックを客観的な視点から見つめ直すよい機会とすることが出来ました。地域統合がもたらす功罪どちらにも注目して今後もこの分野への知識を深めていければと思います。


第6回勉強会

2015年6月4日

場所:早稲田大学11号館

内容:ジェノサイド –その歴史と研究–

担当:藤原

補佐:菅生


第6回勉強会はジェノサイドについてでした。

ジェノサイドとは、人類史の中でも最も暗い部分の一つ、「集団殺害罪」を指す言葉です。これは集団の破壊を目的とした大量殺戮、拷問、強姦、強制移住などといった行為を含みます。
ドイツで起きたホロコーストを目の当たりにした国際社会は、「Never Again (二度と繰り返さない)」という宣言をしたものの、その宣言もむなしく、第二次世界大戦後もカンボジア、ルワンダ、スーダンなどでジェノサイドは発生し続けました。
なぜジェノサイドという「犯罪の中の犯罪」は度々起きるのだろうか?という疑問が、まずこのテーマに興味を持ったきっかけでした。

今回の勉強会は三パートに沿って行いました。
【第一部】では、ジェノサイドの基礎情報についてレクチャーをしました。
国連の「ジェノサイド条約」による定義とその問題点から始め、ジェノサイドのWhat (ジェノサイドと何か?)、Why (ジェノサイドは何故起きるのか?)、そしてHow(ジェノサイドはどのように行われるのか?)を説明しました。
途中、歴史社会学者のHelen Feinが分類する4つのジェノサイドのタイプ、社会学者のJack Nusan Porterが提唱した Two-step theory、そしてジェノサイド研究家のGregory Stantonが作成したジェノサイドの過程を説明する 10 steps of genocide などの理論を取り扱いました。

【第二部】では、ジェノサイドの研究において外すことのできないケーススタディを5つ取り上げました。
一つ目はちょうど百年前にオスマン帝国で起きたアルメニア人虐殺。「ジェノサイド」という言葉を作ったRaphael Lemkinが元々研究していたケースであったなど、ジェノサイド研究の原点となった事例です。
二つ目は第二次世界大戦中、ドイツで起きたホロコースト。ナチス政権が行った、ユダヤ人やその他の少数派集団に対する大虐殺が人類史に与えた衝撃と影響は語るまでもありません。
三つ目は1970年代後半のカンボジアで起きたクメール・ルージュによる虐殺。ポル・ポト率いるクメール・ルージュ政権によるエリート(知識人)層や都市生活者を狙った虐殺は凄惨を極めました。また、社会的集団の破壊をジェノサイドとして認めない「ジェノサイド条約」の定義を疑問視する声もあがったケースでした。
四つ目は1994年に起きたルワンダ虐殺。冷戦後に発生した悲劇として世界の注目を浴びただけでなく、ジェノサイド研究を本格化させた契機ともなりました。
五つ目に2003年以降、現在も進行しているダルフール内戦。世界でももっとも不安定な国の一つとして数えられるスーダンでは、一時期アラブ系民兵「ジャンジャウィード」による非アラブ系民族を狙った虐殺が多発していました。

【第三部】ではジェノサイドが発生している状況を仮定し、取るべき対応をグループディスカッションを通して話し合いました。Stantonの10 steps of genocideなどの理論を使いながら、第二部で扱ったケーススタディを振り返り、国家主権と介入のジレンマについてなど議論をしました。

ジェノサイドは非常に暗い話題でありながらも、平和学や紛争学では避けられないテーマです。今回の勉強会で、ジェノサイドの発生過程や原因、そして解決の難しさについて理解を深めることができたのではないかと思います。
また、初めて早稲田大学11号館で開催した勉強会でした。会場設備が充実していたため、スライドや映像をフルに活用することができました。

ご参加ありがとうございました。


第7回勉強会

2015年6月15日

場所:早稲田大学3号館

内容:介入と主権 –国際社会の未来を考える–

担当:菅生

補佐:村松



第7回勉強会のテーマは『介入と主権 - 国際社会の未来を考える』でした。今も昔も、世界中では様々な問題が起こっています。内戦や飢餓で多くの人が亡くなっています。ジェノサイドで罪なき人が殺戮されています。教育を受ける事が出来ない地域があります。LGBTというだけで、死刑になってしまう国があります。国際社会、特に欧米諸国は、「人権」という普遍的価値を提唱し、他国の中にあるこれらの問題に干渉、介入してきました。そしてそれらは当事者からの反発を生むことも少なくありませんでした。

どこまで人権のような価値観を主張して、他国、異文化の問題へ干渉すべきか。どこまで異文化、伝統的概念、他国の主権等を尊重すべきか。

今回の勉強会では、この難しい問いを参加者の皆さんと考えていきました。

2時間の尺で行われた勉強会は前半30分を基礎情報のレクチャーに、残りの時間をディスカッションに割きました。

レクチャーでは、主に3つのトピックを紹介しました。そもそも何故議論をする必要があるのか理解するために、最低限の情報は必要です。

まず初めに、西欧の価値観と介入の歴史を探っていきました。
人権とは何なのか。どのように普遍的概念として受け入れられてきたのか。保護する責任とは何なのか。リビア空爆は何を生んだのか。理想と現実を紹介しました。

次に、国家的問題と介入という枠組みで、1994年のルワンダ大虐殺を取り上げました。内政不干渉の原則などを紹介しつつ、国際社会が介入すべきだったとされるジェノサイドを振り返りました。

最後に、ジェンダーと宗教という、より文化的な問題について触れました。イスラム過激派、穏健派、そして「啓蒙」しようとする西欧への反発を見ていきました。

ディスカッションも3パートに分けて行いました。
まず初めに、企画者である私が、参加者の皆さん全体に対して、発問する形で議論を呼び起こしていきました。あなたはこの意見に対して賛成か、反対か。何故か。そのような質問を繰り返す中で、参加者間の意見のぶつかり合いも加速しました。国際社会は、ジェノサイドのような事態に介入すべきであると考えた参加者の方が半数以上だったにも関わらず、介入当事者が身近な日本、自衛隊となると、答えを出せなくなる局面は印象的でした。理想と現実のジレンマに、私を含め、頭を悩ませました。文化的問題に関しては、押しつけではなく、中から変わる。そんな意見も出てきました。

次に、3人から4人の少人数グループに分けて、ディスカッションを行いました。より話しやすい環境で、皆さんが活発に意見を交換出来ていたと思います。最後に、全体で意見を共有し、勉強会を終えました。

答えの出ない問題だからこそ、話し合わなければいけません。議論をする場が必要です。今回の話題は、安保法制のニュースが世間をにぎわす中、決して他人事ではないという意識の下、感情と論理の中を試行錯誤しつつ、考えなければならないものでした。国際社会は他国、異文化の問題へ、人権や人道を目的に介入すべきか。それとも、犠牲には目を瞑って、主権や文化を尊重すべきか。その中間はないのか。より良い答えはないのか。そう模索する2時間でした。


第8回勉強会

2015年7月2日

場所:早稲田大学3号館

内容:抑圧されるマイノリティ ‐ ロヒンギャのケース ‐

担当:村松

補佐:根岸


今回は「抑圧されるマイノリティ‐ロヒンギャのケース‐」というテーマで勉強会を行いました。最近、ニュースでよく取り上げられているが実際どのようなことが起きているのかわからない方も多いかと思い、ロヒンギャの歴史的経緯と現状、そして国際社会の対応をレクチャーで踏まえつつ、今後どのような対策をとっていくべきかをディスカッションしていきました。


ここでは、軽くレクチャーの概要をご紹介します。ロヒンギャは15~18世紀においてビルマ西岸で栄えていたアラカン王国に、商人や傭兵として現在のバングラデシュから移り住んできたイスラム教徒に起源をもちます。当時はアラカン地方の仏教徒とも平和的共存が行われていたのですが、1826年にこの地域が英国統治下となると、それまで仏教徒により受け継がれていた土地が取り上げられ、ベンガル系イスラム教徒の労働移民へと割り当てられたことにより、仏教徒とイスラム教徒の対立構造が生まれました。そこで生まれた火種はアラカン地方を中心にたびたび強化・維持されていき、最近では2012年のロヒンギャによる仏教徒女性への強姦殺害事件をきっかけとしたイスラム排斥運動の過激化により、隣国への大規模の難民の流出が発生しました。歴史的経緯からロヒンギャを国民として認めないミャンマー政府と、難民を安易に受け入れたくない隣国の思惑により、行き場を失った彼らはインド洋を劣悪な環境の中で漂流することを余儀なくされています。国際社会は少しずつ動き始めてはいますが、未だ効果的な対策を打つことが出来ていないというのが現状です。


参加者の方々には、最後に今回の勉強会を通して考えたことを紙に書いてもらいました。その中からひとつだけご紹介させていただきます。 (参加者個人の意見をそのまま掲載します)


「ミャンマー政府の対応としてまず、国籍を与えるべきというのがあると思います。しかしながら、ニュースで見たのですが、もしロヒンギャに市民権を与えたとしたら、それを機に自治を始め、最終的には独立する可能性があるという懸念があり、なかなかロヒンギャを自国民とする政策がとられないようです。もしこの問題がこの領域にまで及ぶのであれば、領土問題にもなり兼ねない(中国のチベット問題のように)ので、ミャンマー政府の対応も進展が見られないこともあり得るのではないかと思いました。また、反ロヒンギャの団体の代表は、ロヒンギャとの共存は“不可能”と言っていたので、国民感情としてロヒンギャの排斥というものがある以上、長期的な意識改革も必要だと感じました。」


このほかにも、ロヒンギャへの対立感情は将来的にイスラーム過激派への傾倒につながるとの声もありました。実際、そのような危惧はいくつかの記事でもすでに指摘され始めていたのですが、今回のレクチャーでは特に触れていなかったため貴重な意見でありました。現在、なお進行しつつあるロヒンギャ問題ですが、この勉強会を機に最新のニュースにも目を向けるきっかけとして頂けたら企画者として幸いです。


第9回勉強会

2015年9月28日

場所:早稲田大学3号館

内容:ジャーナリズムを考える - 報道が紛争と平和に与える影響 -

担当:菅生

補佐:立野、小林


第9回勉強会のテーマは『ジャーナリズムを考える - 報道が紛争と平和に与える影響 -』でした。ルワンダやソマリア、ベトナムなどのケースを通して、報道の両面性に触れ、より深く、より良いジャーナリズムの在り方について考えてもらいました。

 

第一部では「報道の制限がもたらした虐殺と報道の制限がもたらした平和」と題してルワンダの過去と現在について取り上げました。ルワンダでは、過去、情報の欠如やメディアの未発達、メディアの悪用がジェノサイドの執行に大きな役割を果たしました。対照的に、現在のルワンダはカガメ政権による表現の自由やジャーナリストの糾弾の下、経済的にも、また女性の社会進出や環境保全などの面でも「アフリカの奇跡」と呼ばれるほど発展を遂げています。首都キガリの犯罪発生率は東京よりも低いそうです。

情報の欠如が悲劇をもたらした過去と情報の統制が繁栄をもたらした現在は対照的です。このケースを下に、「紛争後の不安定な社会で報道規制は必要か」「あなたがカガメ大統領の後継者になったとしたら、報道の自由の糾弾などに関して、方針転換をするか」といった問いを、参加者の皆さんに考えてもらいました。

 

第二部では「報道のインパクトと大衆圧力:ベトナム戦争終結とソマリア内戦泥沼化」と題して、CNN効果と呼ばれる問題を取り上げました。ベトナム戦争では、アメリカのメディアが戦争の事実を報道することで、世論が戦争反対へと傾きました。他方、1993年のソマリアでは、米兵が裸にされ引きづりまわされるという衝撃的な映像によりPKOが目的を達成させられぬまま撤退。PKOの地道な活動や、衝撃的な事件の原因ともなった米軍側の問題点には焦点を当てず、センセーショナルな映像に集中した報道が、物語の全体像を歪め、感情的な世論を作り出した例として考えられています。

 

第二部の要点を踏まえて上で、「南スーダンPKOに派遣された自衛隊員が1名死亡したという速報を受け、民放の報道番組ディレクターとしてどのような企画を行うか」という時事も絡んだ難しい問いを、グループで話し合ってもらいました。

 

事実確認ができていないので、速報テロップすら出さないというグループ。PKOのポジティブな面とバランスの取れた放送にすべきというグループ。とにかく事実をすばやく伝える、場合によって視聴率を取るために衝撃的な映像を使うというグループなど、結論は様々でした。

 

今回の勉強会を通して、ジャーナリズムが紛争や社会情勢に与える良い、あるいは物議をかもしうるインパクトついて知り、より良い報道の在り方について考えるきっかけになってもらえたら、と思います。

 

参加して頂いた皆さまありがとうございました。次回勉強会も是非お越しください!


第10回勉強会

2015年10月15日

場所:早稲田大学3号館

内容:シリア難民 ー 発端、現状、国際社会の対応 ー

担当:立野

補佐:岩淵、菅生


10回勉強会のテーマは『シリア難民ー発端、現状、国際社会の対応ー』でした。

現在、より深刻さを増しているシリア難民問題について、シリアの位置や宗教構成などの基本的な情報から、紛争の発端や背景知識、難民の現状、国際社会の対応などをレクチャーで共有し、これから日本は難民に対しどのように対応すべきかを考えていただきました。

 

第一部ではシリア難民問題を考える前の導入としてシリアの人口や宗教構成、政治体制などから難民を生み出しつずけるシリア紛争を取り上げました。

シリア紛争は現在も続いている反政府運動、それに伴うシリア政府軍と反政府軍の武力衝突をさします。2011年2月に始まったデモは主に、アサド政権の独裁的な政治、政権側と国民の多数派の宗教的対立、不安定な国民の生活などに関する国民の不満などの要因が積み重なった結果でした。この紛争は現在までに死者30万人、国内避難760万人、難民410万人以上を作り出し、結果としてシリア国内の人口は紛争前の2300万人から1975万人まで減少しました。

元々は政権側と反政府側の対立でしたが、現在はシリアを占領中のISの参戦により三つ巴、または他の武装勢力も入り混じり紛争は激化しています。ここでは、シリア紛争の情報を共有することによりシリア難民問題を作り出すまでのプロセスをより明確に知っていただきました。

 

第二部ではシリア難民の現状、難民に対する国際社会の対応、日本の対応に焦点を当てました。ディスカッションではそれらを踏まえた上で、これからの日本の難民に対する対応について考えていただきました。20159月国際会議の場で安倍首相はシリア、イラク難民に対して969億円の経済支援をすることを表明しました。しかし、日本は経済支援を宣言する一方で、63人の難民申請に対して認定されたのが三人と、受け入れに対しあまり積極的とは言えません。共有した内容を踏まえ『日本は難民に対してどのように対応すべきか』という質問を軸に、経済支援の是非や支援のあり方、シリア難民を受け入れた場合の影響などを話し合って頂きました。

 

意見の共有では、日本とシリアの距離的要因を優先して考慮し受け入れないというグループ、シリア難民問題の緊急性を考慮し資金提供をするべきというグループ、日本は地理的、文化的に難民受け入れにおいて長所がないので受け入れるべきでないというグループなど、様々な意見が出ました。全体の意見に一貫して多かった意見は、日本人の難民または国際問題に関する認識と知識が浅いという意見でした。また、資金提供に賛成という意見を持った参加者も、国民の理解を得てから資金提供するべきだと主張していました。

 

今回の勉強会が時事問題に対する関心の向上や、国際問題をより身近に感じていただくきっかけになり、これから様々な課題を抱える世界を担う学生として、今回の『知る』というアクションが参加者の皆さんの役に立てば良いなと思います。

参加者の皆様、お越しいただきありがとうございました!
次回勉強会も是非お越しください。


第12回勉強会

2015年12月23日

場所:早稲田大学3号館

内容:貧困と開発

担当:立野

補佐:木村、長内


第12回勉強会のテーマは『貧困と開発』でした。
貧困の定義から国連の開発への取り組みなど、広く深く扱いました。参加者の皆さまには貧困とそれに対する取り組みについて触れ、また考えていただきました。

第一部では貧困の基本知識についてレクチャーを行いました。

現在、貧困の定義として一番よく知られている国際貧困ラインは世界銀行と研究者のグループによって制定され、今年の10月に物価の上昇に伴い改定されました。

国際貧困ライン以下で暮らす人々は、絶対的貧困と呼ばれる生活に必要不可欠な物が得られない状態で、最悪死に至るケースもあります。

今日、このような厳しい貧困に苦しむ人が七億二百万人いるとされており、毎秒約1人以上が貧困を理由に命を落としていると言われています。

第二部では開発について、また各アクターが行っている具体的な取り組みについて紹介しました。

国連機関の中では特にUNDPが開発の役割を担っており、MDGsやSDGsといった開発目標を掲げ、各アクターがするべきことを明確にし、その達成のため尽力してきました。

しかし、MDGsにおいても、分野によってその達成度は異なり、必ずしも取り組みが成果を上げてきたとは言えません。

NGOに関しては、開発系NGOであり、BOPの先駆けであるIDEについて取り上げました。開発において政府や国際機関だけでなく、民間組織もとても重要な役割を担っています。

NGOが貧困削減に不可欠なものであるということ、そしてそれらの活動の形の変化などを知っていただきました。

最後に日本政府の貧困への取り組みを題材に、ディスカッションを行いました。

日本は現在、国内において六人に1人が相対的貧困にあると言われており、母子家庭における相対的貧困率は56%以上ととても高い数値になっています。

一方で、日本はODAとして発展途上国の開発援助のため年間4238億円を援助しています。参加者の方には国内の貧困と海外の貧困の実情を知って頂いた上で『日本は他国の貧困削減に対し努力すべきか』という議題で話し合っていただきました。

参加者の殆どが日本は海外の貧困の削減に努力すべきだ、という意見を持っている一方で、政府が行っているODAに対し懐疑的な方も散見されました。

日本のODAの問題として、広報活動の不足により日本が行っていることが認知されないという事や、その活動の有効性など、課題が多くあります。

これからの日本には課題をクリアし、援助の形を物質的なものから日本の強みである技術力などにシフトさせていく必要があるのではないか、という意見も出ました。

今回の勉強会を通じて、貧困とはアフリカのような場所だけで起きているのでなく、日本のような裕福な国でも起きており、私たちにもその現状を打開できる可能性があるという事を知っていただけたら幸いです。

参加者の皆様、お越しいただきありがとうございました!今年度もよろしくおねがいします!