日時:2016年12月14日 18:15~21:15
場所:早稲田大学
講師:米川 正子氏(元UNHCR職員、立教大学21世紀社会デザイン研究科 特任准教授)
武内 進一氏(日本貿易振興機構 アジア経済研究所 地域研究センター長)
【概要】
コンゴの性暴力による被害女性の治療に献身され続けてい
本イベントは映画上映、専門家による解説、質疑応答の三部構成で行われました。
第一部 映画上映
『女を修理する男』をご鑑賞頂きました。
第二部 解説
第二部では本イベント上映作品『女を修理する男』を、専門家である米川正子氏、武内進一氏にご解説いただきました。
はじめにコンゴの性暴力を考える会代表であり、本映画の日本での上映ならびにムクウェゲ氏の招聘にご尽力されました米川氏から本映画日本公開に至った背景と、性的テロリズムについてご解説いただきました。
まず『女を修理する男』の日本上映への動機として、実は性暴力(性的テロリズム)がグローバル経済と密接につながっており、日本人も加害者であるという可能性が多いにあることを知り、なんとか日本でこの問題を広め問題解決をしたいと考えたそうです。ヨーロッパで公開されたこの映画を日本でも公開し、問題について考えるきっかけを作りたいとの思いから、日本公開へ踏みきられたそうです。
そして性的テロリズムの特徴について、米川氏はレイプは非常に安上がりで、身体一つで相手に恐怖心を植え付けることができ、そういった意味でかなり効果的な方法であると指摘します。性暴力の被害には20,
30代の若い世代だけでなく、1歳未満から80代の女性までと幅広く、被害者のみならずコミュニティ全体に打撃を与え、弱体化させることが目的といいます。結果的に被害者とそのコミュニティが崩壊し、それが武装勢力が支配することを容易にさせるということで、これが鉱物資源と性暴力の関係だと米川氏は指摘します。
さらにこうした性暴力に対して、コンゴの政府がきちんと処罰をおこなっていないこと、そしてICCなども同様であるという国内外の二重の不処罰が問題の解決に至っていない原因であり、紛争鉱物の存在も関わっていることを述べられていました。最後に米川氏は、コンゴには性暴力以外にも様々な人権侵害が起こっていることに触れ、大学生など若い世代が関心を持ちつづける重要性をお話いただきました。
次にご解説頂きました武内先生からは、コンゴの紛争をどのように理解するかということを中心にお話いただきました。
コンゴには紛争勃発から20年以上続く現在もなお、20ほどの武装勢力がキブ湖周辺を中心に割拠している状況であるそうです。さらにこの複雑な内戦の起点は94年に隣国ルワンダで発生したジェノサイドにあるといいます。当時のジェノサイドに伴い、大量のルワンダ難民とジェノサイドの首謀者がコンゴ東部に越境します。その際ジェノサイドの首謀者を脅威と見なしたルワンダ政府やウガンダが、96年にコンゴ東部に侵攻し、難民キャンプを破壊しながらこの首謀者たちを攻撃します。それが第一次アフリカ大戦ともよばれるコンゴ紛争であり、その当時から性的テロリズムが始まったといわれているといいます。
さらに武内氏は紛争がこれほどまでに複雑な様相を呈している理由には、コンゴが植民地支配を受けていた時代まで遡る必要があると指摘します。
最後に紛争鉱物と日本の関係についてお話いただきました。現在日本が輸入しているタンタルは、コンゴのものではなくルワンダからのものだという統計があります。しかしながら、そのルワンダ産のタンタルが実はコンゴのものであり、それがルワンダを経由して日本に輸入されている可能性として排除できないということを武内氏は指摘します。さらに、紛争鉱物の定義として「武装勢力に使われている」こととして挙げられますが、その線引きには恣意性が含まれており、実は曖昧であることも問題として提起されました。
第三部 質疑応答
質疑応答では参加者の皆様から沢山のご質問をいただき、活発な議論が行われました。
その一部をご紹介させていただきます。
「映画を見て自分が加害者になっているかもしれないと知り、衝撃を受けた。こんなことがあるんだというだけで終わらせない。現地に行って支援するということか難しいと思うので、いま私たちが大学生としてできることはないか。」というご質問に対して、米川氏、武内氏ともに、まずはしっかりと勉強していくことが必要だとご回答くださいました。行動することも大切だが、まずはその紛争の背景やその土地もつ歴史を理解することがまず一歩だといいます。その他にも鋭い、素晴らしい質問をいただき、大変勉強になりました。ありがとうございます。
改めまして、本イベントにご参加いただきました皆様に心より御礼申し上げます。このイベントが皆様にとって、よりコンゴの実情について理解を深めるきっかけとなりましたら幸いです。ありがとうございました。